日日是研鑽

shigemooによる自己啓発を中心とした書評を綴ったブログです。

ウェーバーの見た官僚制について

こんにちは。shigemooです。

色々忙しく、久しぶりの投稿となりました。

これより以下、私の個人的な簡便性の観点から「ですます」から「である」に変更します。

また、私の読書スタイルが多少変化したため、これまでとは異なるジャンルの本も含まれることに留意いただきたい。

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今回から、中野剛志さんが書かれた「奇跡の社会科学」を解読していく。

今回は、マックス・ウェーバーが分析した官僚制について、その実態を明らかにすることを目的とする。

ウェーバーは、社会学の創始者の一人と言われている。

彼の著作で有名なのは、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」だが、ここでは彼の「官僚制」に関する著作を読み解く。

官僚制の要素

官僚制とは何だろうか。

ウェーバーは、官僚制の要素として、次の二つを挙げた。

  1. 没主観性
  2. 計算可能性

ひとつずつ解説していく。

没主観性とは

没主観性」とは、「誰彼の区別をせずに、計算可能な規則に従って、事務を処理すること」と定義されている。

つまり、役所などで行われる手続きは、一定の手順を踏めば誰に対しても公平性が保証されるものであり、そこに役人の主観的な判断は含まれない、ということだ。

主観が存在しないという点で、没主観性と呼ばれる。

計算可能性とは

次に、「計算可能性」とは、客観的な判断ができ、かつ結果が予測できるようなルールに従って行動することである。

「数値化」、「透明化」、あるいは「見える化」といった言葉がこの概念に近い。

近代資本主義の要請

ところで、どうして「没主観性」と「計算可能性」が官僚制を形成するようになったのか。

それは、近代資本主義が求めているからだとウェーバーは指摘する。

近代資本主義は徹底的な効率性を求めており、その帰結として、上記2つの性質を欲するようになったのだという。

官僚制の非人間性

官僚制は、徹底的な合理性と効率性を追求する。

その一方で、非人間的であるという弱点も見逃してはならない。

どういうことかというと、官僚制では「没主観性」が必要とされる。

一方で、人間性を保つ重要な要素として、主観性が挙げられる。

主観を排除して客観的な指標に基づいて処理を行えば、確かに効率性は向上する。

しかし、人間性、具体的には人間の包容力や曖昧さは失われてしまうのである。

したがって、効率性と合理性を追求した組織は、非人間的なものになってしまう。

非効率・非合理への転落

ところで、現実の官僚制を見ていると、どうしても効率的・合理的とは言えない場面がある。(これは決して役所等の存在を貶めているわけではない。ただ、そういうこともあるというウェーバーの論旨にしたがったまでである。)

これはなぜだろうか。

官僚制は、確かに、効率性と合理性を徹底した組織である。

しかし、組織というものは、効率性と合理性を徹底的に追求すると、かえって非効率で非合理なものとなってしまうということが往々にしてある。

これがポイントとなる。

逆機能という概念

このことに関して、社会学者であるロバート・マートンは「逆機能」という概念を提唱した。

具体的には、ウェーバーの官僚制の分析を基礎として、効率性と合理性を追求する官僚制が、意図せざる結果として非効率性と非合理性を招くことを、官僚制の逆機能という概念をもって明らかにした。

例えば、人間というものは、厳格に規則にしたがって仕事をしているうちに、規則に従うこと自体が自己目的化するようなことが往々にしてある

つまり、手段が目的に変換されてしまうのだ。

これをマートンは「目的置換」と呼んだ。

すなわち、手段と目的の入れ違い、つまり「目的置換」が起こることによって本来の目的が達成されなくなり、その結果として、非効率性や非合理性を招く、ということである。

現代における「数値化」の弊害

現代においては、数値化やマニュアル化の重要性が叫ばれている。

これは、組織の非効率性や非合理性を是正するために導入しよう、というものだ。

しかし、本来組織は官僚制に則っており、効率性や合理性を追求しているはずである。

つまり、もともと非効率・非合理なのではなく、「効率性や合理性を追求した結果」、「目的置換」が起こり、非効率・非合理に転落しているのである。

このことから言えることは、現代叫ばれている数値化やマニュアル化、総称して効率化・合理化は、将来的には「目的置換」され、非効率・非合理の元凶となり下がってしまう可能性がある、ということだ。

もっとも、数値化やマニュアル化による洗練、合理化、効率化の効用を否定するわけではない。

しかし、それに取り組む主体が人間である以上、どこかで「目的置換」が起きてしまうことは十分に考えられるのである。

つまり、一回きりの改善で満足せず、継続的に繰り返し改善を行っていく必要がある、ということが要旨として導き出されるのではないだろうか。

まとめ

  • ウェーバーは官僚制について分析した
  • 官僚制は、没主観性と計算可能性から成立する
  • 逆機能における目的置換によって、官僚制は非合理・非効率へと転落する
  • 改善は繰り返し行う必要がある